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021 そうだ新蕎麦の季節だから山形に行こう!PART2
2005/11/06〜07
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MAP @地点
皆様お久しぶりです(´〜`ヾ) ポリポリ・・・
すっかり更新をサボってしまいましたyo

さて前回に続きます!!

昼飯においしいそばを食べて肘折温泉までやってきました。

肘折温泉開湯由来

 肘折温泉の発見は、今から約千二百年ほど前、大同二年(807)平城天皇の時代とされ、
第百代後小松天皇の御代明徳二年(1391)の正月二日に、初めて温泉場として開業しました。
 発見にまつわる伝説も興味深く、“昔、豊後の国(大分県)からきた源翁という老人が山中で
道に迷い途方にくれていたところ、後光きらめく老僧に出会った。”というようなことがらが縁起書
に記されています。この老僧こそが地蔵権現であり、かつて肘を折って苦しんでいたときに、
この湯につかったところたちまち傷が治った、と語り、世上に湯の効能を伝えるべく翁にいい
渡したとされています。以後、近郷の農山村の人々が農作業の疲れを癒す温泉場として、また
骨折や傷に有効な湯治場としてにぎわってきました。
 また、老僧が住んでいた洞窟は“地蔵倉”と呼ばれるようになり、今では縁結びの神として
参詣が絶えません。


縁結びですかぁ〜 すっかり縁がなくなってしまいましたねぇ〜

昨年もツーリングで肘折温泉を訪れ、寿屋さんでそばをいただき、カルデラ温泉館で
お風呂に入りました。(参照 011 そうだ、たまにはみんなでツーリングに行こう!!

そうそう、この肘折温泉にはもうひとつ温泉があります。いったことはないんだけど
石抱温泉という炭酸泉です。炭酸が湧き出しているため体が浮くので石を抱いて
入らなければならないといわれこの名前がついたそうです。
行ってみたい温泉のひとつです。

そろそろ走行距離も200kmを越えたので肘折温泉のスタンドで給油を済ませて
いよいよ国道458号線酷道部分に突入です!!(笑

左に曲がっていきます。



MAP A地点
しばらくはほぼ一車線の曲がりくねった舗装道路が続きます。

後ろを振り向けば肘折温泉が一望できます。(ロールオーバー)

大蔵村のほうが未舗装路部分が長いそうです。計ってはいませんけど(^^;

銅山川と地蔵森山の斜面をうねるように国道が走っています。
川側は約70mの断崖絶壁・・・もちろんガードレールなんて気の利いたものは
ありません。転落事故ってないのかしら???

途中地蔵蔵への遊歩道があります。いっぺんくらい行ってみたいなぁ〜

紅葉がきれいだったのですが、あまりゆっくりしていては目的地にたどり着けません
華麗にスルーで急ぎます。
大師峠と十部一峠の間くらいから左(東側)に登っていく林道が「葉山林道」です。

大師峠って看板があるだけのほとんど峠らしからぬ場所です。
地形図で見ると破線のはるかはなれた違う道(永松銅山から肘折に行く道)が
大師峠と記載されています。
なぜに新道に、しかもさもない場所にわざわざ同じ名前をつけたのでしょうか?

葉山林道は葉山登山道になっているせいか大変きれいに整備されていました。
延長5027m 幅員3.6mのきれいな砂利道です。
一部砂利を敷いたばかりのところがありハンドルがとられることもありましたが
おおむねフラットな走りやすい道でした。

11月の日が沈むのが早い時期、午後3時過ぎにこんなところでフラフラしている
俺って・・・ヾ(`◇´)ノ彡☆コノ!バカチンガァ!!



MAP B地点


MAP C地点


葉山林道の終点です。ここからは登山道になります。

昔は「葉山・月山・羽黒山」で出羽三山で、湯殿山は奥の院だったのですが、
近世(室町末期)になり「月山・湯殿山・羽黒山」が出羽三山となったそうです。
っていうことは数百年前はこの辺を修験者がほら貝を吹き鳴らしながら歩いていた
のでしょうかねぇ?
もっとも昔は山仕事の人とか鉱山で働く人が多かったので山の中はいがいと
人口が多かったのかも知れませんねぇ〜

ところで、この時間に林道終点に車が一台ありました。
山の中でポツンと車が止まってると気持ち悪くないですか?みなさん?
おいらはチョッとだけ警戒しちゃいます(^^;

さて、葉山林道探検も終了し十部一峠に到着です。
といっても何かあるわけでもなくごらんの看板がその場所を示しているだけです。

ここはちょっとした駐車スペースになっています。(ロールオーバー)

十部一峠の由来ですがこの十部一は十分一からきており、峠に番所を置き、
十分一役銀を徴収したことに由来するらしい。
十分一は鉱山に関連した地名で、南の寒河江市側には幸生銅山、
北の大蔵村側には永松銅山が峠を挟むように栄えていた。
秋田県の旧雄勝郡雄勝町(現湯沢市)の院内銀山にも十分一という地名がある。

ここの駐車場から右側(西側)に降りる林道が永松林道で永松鉱山跡まで続いている
今回は時間がないので(ー_ー )ノ" パス



MAP D地点



MAP E地点


こちらは寒河江側のダート。

さすがは国道ボコボコじゃない!!

つーか、あんまり車が通らないからボコボコにならないんだろうな・・・
とはいいながら昨年よりは格段にすれ違う車が多かった。
やっぱきのこ採りとか紅葉の季節は車が多いんだなって思った。

逆についこの間まで県道だったのにこれほど舗装部分が多いのを
ほめるべきなのであろうか?
国道458号は平成5年(1994年)に県道から国道に昇格?した
山形県で一番新しい国道である。
国道の通っていない自治体が頑張ったらしい。
しかも国道13号の代替道路としての役割があるとかないとか・・・
それって無理あるだろ!!(^^;
だいぶ下ってきたところに山神様が安置されていた。

この脇の林道が幸生(さちう)林道というらしい。
この道を進むと幸生鉱山跡に出るらしい。
もうこの時点でもうすぐ午後4時になろうとしている。進入はパス!!



MAP F地点

上の写真のチョッと前のタイムスタンプの写真。

何気なく撮って帰宅してから「がけ崩れかな?(写真中央部)」って思ってたんだけど
どうも幸生銅山跡らしい。

永松銅山・幸生銅山

南の寒河江市側には幸生銅山、北の大蔵村側には永松銅山が峠を挟むように栄えていた。幸生銅山は
天和二年(1682年)に開かれ、泉屋(のちの住友)が経営した。永松銅山は1617年ごろの発見という。
明治になると幸生、永松両銅山に古河鉱業の資本が入った。明治の幸生銅山では永岡鶴蔵を中心と
するストライキなどがあった。また幸生銅山は永松銅山の支山となった。永松銅山は大蔵村に属したが、
冬期は大蔵村との交通手段は無くなり、道が整備された寒河江の幸生との関係が強かった。山形県の
重要な鉱山として栄えたが、昭和三十六年に休山となり、そのまま閉山された。

やっと人里に出てきた。

あとは国道112号をひたすら西に進み湯の浜温泉を目指すだけ・・・

案の定途中で暗くなりやがった。

またしても鶴岡で道に迷う・・・・_| ̄|○




すっかり日が沈んでから湯の浜温泉に到着 
風呂に入ってひたすら飲む、飲む、飲む

コンパニオンのおねーさんとひたすら飲んで!!爆睡!!(笑



MAP G地点



PART 1に戻る  PART 3に続く

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